V字回復から更なる成長を
叶える事業の原動力

合同会社ユー・エス・ジェイ
執行役員副社長 オペレーション本部長 大出賢幸氏

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのV字回復エピソードは、マーケティング手法の側面で語られる場面をよく目にします。本インタビューではその屋台骨とも言えるテーマパーク運営部門のトップ兼ボードメンバーである執行役員 副社長 オペレーション本部長の大出氏に成功を生み出す、その風土とご自身のマネジメント論についてJAC Recruitment代表取締役社長の松園健がお聞きしました。

エンジニアからボードメンバーへ。その軌跡とは。

合同会社ユー・エス・ジェイ
執行役員副社長 オペレーション本部長 大出賢幸氏

松 園

まず、大出さんのご経歴をお聞かせください

大出氏

私はもともと、エンジニアでした。北海道大学の理工系学部を卒業して、川崎重工株式会社に入社しました。そこで、電力会社や自家発電事業者が治める発電所のプロジェクトをまとめる「プロジェクトエンジニア」として働かせていただきました。当時は、石炭火力が注目を浴びていた時期で、日本もその波に乗ったのです。この仕事が私のエンジニアとしてのキャリアのはじまりとなります。

松 園

当時、ご経験された中で、役に立っていることやご苦労されたことはありますか

大出氏

川崎重工では、やはり現場での経験が一番役に立ったと思います。新入社員は入社したら必ず現場に配属されるのですが、そこでいかに自分が仕事のできない人間かを思い知らされ、徹底的に技術についてのノウハウなどを叩き込まれました。その経験のおかげで、現場の重要性を知ることができ、これは今でも頭の中に根付いていますね。
工場での研修を終えたら、発電プラントを建設する現場に行きました。そこでは、社内の付き合いだけではなく、他社さんとのコミュニケーションが重要視されていて、お付き合いを大事にするということを学びました。やっぱり、なにかあったときに助けてもらえる存在があるのはいいことだと思います。

その後、神戸製鋼の子会社に転職しました。フィンランドにある会社が石炭の燃焼の技術をもっていたのですが、その会社がアメリカのサンディエゴにエンジニアリング会社を作りました。そこで、エンジニアが必要になったので、3年間そちらに行きました。この3年間の仕事、生活、文化はなかなか経験できない事だったので、今でもすごく活きています。

次は経営の仕事に付きたいと考え、GEさんに転職しました。GEでの3年間は技術から離れ、業務の最適化に特化した組織に所属していました。その組織のリーダーに対して、業務改善の提案などをしておりました。この3年間で経営者としての基本を学ぶことができましたね。

環境・文化の壁も楽しみながら乗り越える

松 園

サンディエゴでの3年間がものすごく勉強になったとおっしゃっていましたが、どのようにアジャストされたのですか?

大出氏

基本的には柔軟性があるので楽しんで受け入れてしまいます。なので、あまり苦労はしませんでした。ですが、日本人が1人だけで、相談する相手もいませんでした。あのときサンディエゴにあったソニーさんなどもいらっしゃっていて、比べてしまうのもおかしいですが彼らは手厚い敷居のなかで動いていたので「なんでこんな冷や飯食わなきゃいけないんだ」と、疎外感を感じていました。でも、それが逆に良かったのかもしれないです。住居、電気、ガスなどの設定をすべて自分でやらなければいけなかったですから。楽しみながらやらせていただきました。

私はジャック・ウェルチがずっと継承してきたシックスシグマのメンバーとして入社しました。ちょうどイメルトさんに変わって、社内向けのシックスシグマというよりは、お客様に向けたシックスシグマを提供していくという動きが強くなっていった時期ですね。そこでやっていたビジネスそのものは変わっていません。

「技術」から「人」へ

JAC Recruitment
代表取締役社長 松園 健

松 園

ユー・エス・ジェイに入社された経緯を教えてください

大出氏

ユー・エス・ジェイからお話があって、私自身、興味もあったので一度話を聞きに行きました。当時は経営状態があまりよくないという話も聞いていたのですが、仕事内容を聞いて面白そうだなと思いましたね。今までは物を作ったあと、使う人の顔をあまり見ることができなかったのですが、ここでは自分の仕事の結果がすぐに出るし、少し足を運べば使う人の顔も見ることができます。この時点で興味は湧いていましたが、最後の決め手になったのは社長との面談ですね。このとき社長は仕事の話はしてくれなかった。後日改めてお会いした際に「明日潰れるかもしれない会社によく来るな」と言われたのです(笑)。そんな茶目っ気のある社長に惹かれて、入社を決意しました。

松 園

お客さんに夢をあたえるという意味ではB to Cに近い職業だと思うのですが、まったく抵抗はなかったのですか。

大出氏

実をいうと結構ありました。私の中のベースはずっと技術者でしたし、500人くらいの大きな組織をマネージするのは初めての経験でした。自分なりにいろいろと考えていたのですが、今まではそういった苦労を感じてこなかったので、大変でしたけど楽しみながらやらせていただきました。ここでの仕事は毎日人を動かして一つの街を作るイメージです。最初の1ヵ月は、あれこれ試行錯誤したのですが、最終的にはそれらすべてを把握して業務をこなすことは難しいと考え、担当者を立ててマネージさせるという土台を作っていくことにしました。

松 園

技術的な観点から見たときに、大変な仕事というのはどのようなものでしょうか

大出氏

一番仕事量が多いのは建物に関する仕事ですね。新しいアトラクションを作るためには建物が必ず必要になります。機械や空調も必要になって来るので、これが一番大きな仕事になってきます。 その次に、ジェットコースターのような制御装置がたくさん必要になるものですね。

人に対する安全性は人の経験が活きる

松 園

テーマパークでは想定外のことがたくさん起こると思います。ご苦労はあったりしますか

大出氏

正直、安全という意味では一番難しい業種だと思っています。プラントに携わる人というのは、みなさん現場で作業された経験をお持ちです。機械の危険性を理解されているので、自分のことは自分で守れます。しかしテーマパークのお客様は小さな子供からお年寄りといったさまざまな人達なので、すべての人たちが安全に遊んでいただけるような装置にしなければいけません。安心と安全を提供する弊社としては一番気を使っているところですね。

松 園

それらを実現できている御社のノウハウを教えてください

大出氏

人に対する安全と機械の安全があります。人に対する安全は、人が介入しなければいけません。なので、これは経験だと思います。経験を積むことで、どこが危なくなるのか分かるので、そこに人を配置して対応していきます。それを、日々ブラッシュアップしながら安全性を高めます。
機械の安全に関しては、基準をしっかりと守ること、理解して守らせることが重要です。ユー・エス・ジェイの基準はしっかりしているので、かなり高いレベルの安全が確保できていると思います。

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