“ビジョナリー・カンパニー”へと
続く道

プロパティエージェント株式会社
代表取締役社長 中西 聖 氏

プロパティエージェントは、かつてはベテランの勘が頼みだった不動産の企画開発や販売、管理などにITや人工知能を取り入れ、顧客の潜在的ニーズを掘り起こすことで顧客満足を追求する気鋭のベンチャー企業。不動産業界では稀有な創業以来14期連続で増収増益の成長を続け、売上高は200億円に届く勢いを見せている。社長は不動産分野での経験をもとに27歳で起業した中西氏。会社設立当時の思いや、これまでの軌跡を聞いた。

プロパティエージェント株式会社
代表取締役社長 中西 聖 (なかにし せい)

1977年生まれ。長崎県出身。2015年、明治大学大学院グローバルビジネス研究科修了(MBA)。ゼネコンにて施工管理を経験後、不動産開発会社にて営業職を経験し、2004年、プロパティエージェント株式会社設立。2015年、東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)に上場。2017年、東京証券取引所市場第二部に市場変更。2018年、東京証券取引所市場第一部に市場変更。2022年、東京証券取引所市場区分変更にともない、プライム市場へ移行。
[論文・著書]
シェアリングビジネス -消費者間取引におけるイノベーションの研究-2013年(Airbnb、Esty、BUYMAを題材にCtoC市場の研究を行い、消費モデルAISTAを構築)
不動産市場の透明性向上に貢献するビジネスモデルの構築 2015年
日本不動産投資「東京不動産マーケット」 2014年 攝谷有限公司
ICTを用いた不動産価格の査定による既存住宅流通市場拡大の可能性について- 2015年 (住宅新報社 不動産鑑定2015年12月号 寄稿)

夢を持った起業は、怖くない

中西さんが起業したのは27歳の頃だとか。それまでの経歴を教えてください。

最初はゼネコンに入社し、施工管理を経験したあと、デベロッパーに入社。そこでひと通り経験を積み、2004年に当社を設立しました。

20代の起業、どういう想いだったのでしょう。起業したいと思っても、一歩踏み出せない人も多いと思いますが。

実は僕の中では、起業に踏み出す考えはありませんでした。デベロッパーに勤め始めて、部長職についてから「もっとこうしなければ」と課題に思うことが増えました。ひとつは顧客の満足度をもっと高めたい。2つ目は、デベロッパーとしてもっと充実した商品作りをしたい。3つ目は、販売ランキングでナンバーワンを取ること。その3つの課題を、部長として半分経営に関わりながら経営陣に働きかけていたけれど、会社はあまりそこに興味がなかった。その3つの課題を解決するなら自分でやるしかないと思い、独立しました。

もうひとつ大きな理由は、ベストセラーになったジム・コリンズ氏の著書『ビジョナリー・カンパニー』を読んで強く感銘を受けたこと。そこに書かれているように、ビジョンを持ち、長く続く素晴らしい会社にしたいという夢を持ったのです。その夢があったので、起業はそんなに怖くなかったですね。

他の会社に行くという選択肢は無かったのでしょうか。

一度、転職活動をしたけれど、あまりピンとこなかった。ある上場企業で部長職の面接をしたこともあるのですが、結局「それで、いくら稼ぎたいの?」みたいな話になってしまって、ちょっと違うなと(笑)。やはり自分でやるしかないと思いました。勤めていた会社の上層部の方にはすごく目をかけてもらっていましたが、独立を認めてもらい、部下数人を連れて起業しました。

会社組織の経営は選択の連続

夢を持って会社を起こされて、最初にぶち当たった壁は何でしたか?

人材ですね。最初は、新宿二丁目に1DKの事務所を構えましたが、人が採用できない。最初の事業は販売からでしたが、新卒も中途も採用できないので、業界を渡り歩いているようなプロの営業の力を借りたりしていました。今ほどコンプライアンスも厳しくなかったですしね。組織の枠組みなんて無いも同然だった。そのうち売り上げも増えて、オフィスも、“新卒採用してもいいんじゃないか”といえるくらいの中小ビルに移りました。そこで中途の未経験者や新卒の採用を始めました。

10年後の会社を担う幹部候補を一から採用して、公平な秩序のある組織に変えるためには、相当苦労をしました。古くからいる社員は、僕のビジョンというより「中西と仕事がしたい」という気持ちで集まってくれていたので、会社が大きくなり、開発や賃貸管理部門をつくる頃には、僕が部長だった頃のように、夜まで仕事を頑張って、仕事も飯も一緒という訳にはいかなくなる。すると古くからの人が不満に思い、新しい人は不公平感を感じるという問題が出てくる。僕としては会社の全体最適を考える。組織が固まってきた頃、創業して5~6年目が特に大変でしたね。

人材と組織作りの壁が大きかったと。そんな経験を通して中西さんが考える、組織を動かす時に重要なこととは?

心の底から一緒にやってくれようとする人がいるかどうか、だと思います。社長というものは、社員から見たら、なんだかんだ言っても別モノ。だから社長には、一緒に動いてくれて、信じて行動してくれる人、いわば“右腕”が必要。よく、YouTubeで見られている有名な動画がありますよね。野外で一人で踊っていると、それにフォロワーが一人加わり、続々と集まって来てみんな踊り出す。あれと一緒です。動画の解説の中で重要だと言われているのは、リーダーを支えるナンバー2だ、と結論づけていますが、ホントに大事だと思う。いいナンバー2がいてくれないと、社長は耐えられないですよ(笑)。

社長は孤独だとよく言われますが・・・

ホント、孤独です(笑)。

社長としての学びが会社の強みに

経営者として意思決定する社長と、以前経験された部長という立場の一番の違いは何でしょう。

一番大きな違いは、社長は最終的な責任を全部負っているということ。言ってみれば会社を潰す意思決定まで持っていますから。もうひとつ言うと、社長はビジョンを語っているので、5年くらい経っても会社が変わらないと「あれ?おかしいぞ」という話になるわけです。例えばメーカーの社長が優秀なエンジニアを連れてきて、「新たなサービスを作ろう!」と言って1~2年経っても形になっていないと、皆かなり意気消沈するのと一緒で、言ったことは是が非でも達成しないといけない。だから部長とは全然違う。社長は会社づくり、部長は部門のミッションの達成を目指すという大きな違いがあります。

中西さんは社長として、意思決定の方法をどう会得して来たのですか。

例えば、我々デベロッパーが仕入れるマンションは、一棟が7、8億円する。その意思決定について、何が正しいのか、最初は分からなかったんですね。毎日が不安の連続です。各方面に色々とアドバイスをいただいたけれど、どうしても精神論が多くなってしまう。しっかりと意思決定をしていくプロセスをもっと知りたいと思って、経営学を学び始めました。元々営業出身なので、会計の勉強はしていましたが、定量的に意思決定するプロセスを学ぶ目的で、大学院に行って定量分析などを学びました。だから我々の特長である、物件を仕入れるときのスコアリングはそこから生まれているのです。もちろん意思決定のベースには、ビジョンや信念がありますが、定量的な分析も使って判断するという両輪で動かしています。

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