医師起業家としてヘルステック業界を牽引する

メドピア株式会社
代表取締役社長 CEO (医師・医学博士) 石見 陽 氏

無我夢中でつかんだリアル

いろいろご苦労もされたと思いますが、どう乗り越えてきましたか?

ビジネス経験なく起業していることもあり、正直なところあまりあれこれ考えずにやってきました。はじめはmixiと一緒なので、システムを作ったらどんどん医師が入ってくると思っていたんです。そしたら全くそんなことはありませんでした。

サービスの機能として、当初イメージしていたのはSNS機能をフル装備するものだったのですが、当時はSNSを作るシステム会社が儲かっていた時代だったため、機能をつければつけるほど数千万単位の開発費になる状態でした。そのため、システムとしてはミニマムでスタートしていて、掲示板機能と紹介機能みたいなものしかありませんでしたね。
医師としては何のために紹介するか、どういうメリットがあるかわからない状態です。医師は個人情報には基本的に敏感で、自分の評判に結構敏感な人たちなので、紹介はあんまりやってくれないんです。なので、目論見は全然はずれました。

けれど、会員は集めなければいけない。そこで、学会で製薬会社などと同様にブースを出展して自分が出て行き、ひたすら2年間はビラ配りをしていました。7,000人くらい足で稼ぎました。7,000人のうち5,000人くらいは私自身が直接話しています。あれはもう根性でやるしかありませんでした。結果としてよかったのは、現場に出て行って、医師の生の意見を知ることができたということです。「こんなネットの世界で患者さんの情報漏れたらどう責任とるんだ!漏れた場合は医師の責任になるのか、会社の責任になるのか?」と議論になったこともあります。一方で、すごく応援してくれる人も多くいました。
5,000人の医師と話した人はなかなかいないと思います。現場のマーケット感がつかめたことは、結果としては大きかったです。

できる自信はありましたか?

自信よりは、できるかできないかわからないので、撤退ラインみたいなのを決めていました。無制限にはやれないし、お金をいただいてやっているわけですので。当時は累積2億円くらい赤字になっていましたが、家族と話をして「3億円まではやる」と宣言しました。3億円の根拠は、一応臨床医として開業したら平均年収3,000万円なので、頑張れば5,000万円くらいにはできるかな、と。家族の生活費をいろいろ引いていっても、年に3,000万円は返せるだろうなと思いました。だから3,000万円を10年間返済して3億円。10年で禊が済めばそれでいいかなと。なので、撤退ラインを決めた以上は全力でやるだけでした。

急速な拡大とともに育んだもの

経営者としてという意味ですと、事業をマネジメントするうえで大事にされていることはなんですか?

2011年の震災の頃は自分にとって、すごくいい転機になりました。当時、資金調達はしたのですが、会社の雰囲気が最悪だったんです。簡単に言えば、僕とNo,2の方の考え方や方向性が全然合わなかった。会社の経営層が不安定であれば、メンバーも全員不安になるし、メンバーもポロポロ辞めていく。その中で震災が起こり、自分もいろいろと思うことがある中で、「なんでこの会社をやっているのだろうか?」と、もう一回立ち止まって、振り返りました。

そして、やはり我々がミッションに掲げている、「Supporting Doctors, Helping Patients.(医師を支援すること。そして患者を救うこと。)」のためにやるのだと思いました。そこに戻れない、そこを柱にできないようであれば、震災などが起きた際は自分で医師として働くほうが世の中のためになる。だから、そこのミッションにもう一回戻ろうと思いました。ミッションは既にあったにも関わらず、しっかりメンバーには伝えられていなかったんです。資金調達もしてビジネスとしては光が見えていた状況だったので、そのタイミングでメンバー一人一人と個別で面談をしました。

ビジネスとして光が見えていたというのは、2010年にMedPeerのサイト内でスタートした「薬剤評価掲示板」という薬の口コミ評価サービスです。医師による薬の評価が見える化されるのは、はじめはかなりセンセーショナルだったのか、製薬企業側からの反発がかなりあり、なかなかそこに広告を出稿しようとはしてくれませんでした。けれど、WEB上にユーザー(医師)の声が出てくるのは世の中の必然の流れですし、何より医師にとっては必要な情報です。一年くらい経った頃には、製薬企業の方にもだんだん理解を得ることができて、もう少しでビジネスの形になるところまで来ていたんです。

一方、社内の面談で、改めてミッションを伝え、ビジネスとしても成立させて行きたいと話をしていった結果、残ったメンバーは7人でした。半分以下の人数になりましたが、想いを一つに再出発し、サービスは売れ出しました。つまりここで黒字になったんですね。そして黒字になったら一気に会社の雰囲気もよくなっていきました。そこから入ってきた人たちは、どんどん会社を牽引してくれました。2014年の上場までは、そこから一気にいきました。

今は従業員数も120名くらいになりましたが、社員とちょっとすれ違うだけで、なんとなくその時の組織の状態を空気で感じます。経営者というのは、みんなそうなのだと思います。あのときに思ったのは、「なんで、この会社があるのか(Why)」というミッションのところは、創業者である社長でなければ言えないということです。それは今でもすごく大事にしています。あとは歴史のところも私しか言えません。しかし、そこが将来的に会社の文化になってくるのだと思います。「何をやるか(What)」と「どうやるか(How)」のところは、みんながそれぞれ考えるところでもあるし、言えることもあると思います。「Why」のところだけは私自身が伝え続けるということが、一番大事かなと思っています。

7人のときと、今の規模になったときのマネジメントの仕方は変わりましたか?

よく30人、50人の壁といって、バス一台分の人数を越えるときが転換のタイミングだと言いますが、そこは結構その通りでした。そのあたりで、いわゆるミドルマネージャーがどう育ってくるかが重要になりますし、弊社が上場してからなかなか伸び悩んでしまった原因の一つは、そこかなと思います。そうしたマネジメントは、2016年に参画した今のCOOの林から学んでいるところはあります。経験者でしかわからないノウハウというのは絶対に本では書いていなく、隣で見ていないと分からないところだと感じます。

成長できるマーケット。だから攻めることができる

上場後のここ数年間と今後の事業展開についてお聞かせください。

上場後で言うと、『ポストIPOの憂鬱』のような状態に陥っていました。組織として次のステージに行くことができなかったのは、さきほどのミドルマネージャーの育成ができていなかったということがあります。そこの根本は経営の未熟さでした。同時に新規事業を一切仕込めていなかった。自分もいろいろと企画は持ってはいたのですが、新規事業の作り方をやっぱり分かっていなかった。結果として2回下方修正を出して、投資家の期待をかなり裏切ってしまいました。

その後、2017年の春頃から組織としての適正な目標設定やメンバーマネジメントが、ようやくはまり出して、今の再成長期に来たというイメージではあります。ただ、このまま今の100名が300名になるかと言えば、そうではないと思っています。新規事業の仕込みはもちろん、事業を通していろんな人が育っていくような状態をつくらなければなりません。個人個人が育ってきて、ミドルマネージャークラスがいい意味での競争の関係にあるような、そういう人材が育つような会社になると強いだろうなと思います。

また、僕らの攻める事業領域としては引き続きヘルステック業界という絶対に伸びていく市場なので、ここで王道を進んでいけば必ず成長できると思っています。

会社としての最終的なゴールについてお聞かせください。

僕らがミッションから外れることはないので、ヘルスケアの領域で「この会社はなくてはならないよね」という状態になりたいです。ヘルスケアって広いですから。その中で、何かしら問題が発生したときにメドピアを求めてくれるというのが、サービスを提供している我々が目指す方向だと思っています。

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