常に夢中で学び続けて、
プロになれ

カルソニックカンセイ株式会社
常務執行役員 近安 理夫 氏

アクセンチュア株式会社でコンサルティングの基礎を徹底的に学び、MBAを取得。その後新たな環境を求めてHOYA株式会社グローバルCIO就任。現在はカルソニックカンセイ株式会社のCD&IO(Chief Digital & Information Officer)を勤め、常に刺激のある環境に飛び込み、学び続ける近安氏。ご自身の経験からの学びや、経営者としての視点を探った。

カルソニックカンセイ株式会社
常務執行役員 近安 理夫

1990年アンダーセンコンサルティング入社(現:アクセンチュア株式会社)。韓国・USA・ドイツ・シンガポール赴任。 2010年同社退社後HOYA株式会社入社、 グローバルCIO就任。PENTAX社の内視鏡部門統合に尽力。 現在、2018年1月よりカルソニックカンセイ株式会社入社、CD&IO(Chief Digital & Information Officer)就任。 シカゴ大学MBA取得。

就職活動で訪れた会社説明でコンサルタントの話を聞き、衝撃を受けて入社

どのような学生生活を過ごされていましたか。

地元高知の高校を卒業後は香川大学に入学し、1年生の時に簿記を学びました。“お金の動きで会社の動きが分かる面白み”というものを感じたのと同時に“本格的に学びたい”と思い、滋賀大学に入り直しました。 当初は公認会計士を目指したものの、監査論を学び始めた時に自分には合わないと思い、経営学の道へ。経営学のゼミの教授から「君は飽きっぽいから、日本の企業に一生いるのは不向き。世の中にはコンサルティングという仕事がある。コンサルティングなら3ヶ月や半年などの短いスパンで取引先の企業、お客様、働く環境も全て変わるので、君に向いているのではないか。」とアドバイスを頂き、グローバル・マネジメントとテクノロジーのコンサルティング会社であるアンダーセンコンサルティングを勧められました。

まずはアンダーセンコンサルティング入社(現:アクセンチュア株式会社)へ入社した経緯を教えてください。

アンダーセンコンサルティングの大阪の事業所で会社説明会がありました。そこで会社説明をする、アンダーセンコンサルティングの役員の話に感銘を受けて、「この人の下で働いてみたい!」と思ったのが、きっかけです。

お話の内容をお聞かせいただけますか?

実は、会社の話は一切しなかったんです。たくさんの会社説明の資料があったのに、彼は1枚もめくりませんでした。自分のこれまでの半生の話をし、『いかに日本を他国から守るか、そのために自分のライフスタイルはある』 という話をずっとされていました。
会社説明といえば、事業内容や給料・得られるスキルなどの細かい部分になりがちですが、『日本社会をどう見るのか』 というとても大きな視点で話をされていました。そのための貢献の仕方としてコンサルティングがあるという内容でした。
『自分の人生、何のために生きるのか』 『自分のやりたいことに対して仕事の存在とはどういうものか』 という視点で半生を語っていたのです。「こんな人見たことない!!」という衝撃を受けました。

コンサルタントの基礎を学び、がむしゃらに努力し続けた20代

コンサルティングという仕事は珍しい仕事でしたか?

当時は世の中にまだコンサルティングという言葉すらありませんでした。インターネットもなく、サービス業の一部のような感じでした。大前研一氏の「企業参謀」という本が出た頃で、堀紘一氏などもまだメディアに出ていなかった時代です。就職活動をしていた時期はバブル全盛期で、引く手あまたの状態でしたが、そんな中、誰もしらないコンサルティングという仕事に来る人は変わった人が多かったです(笑)。

コンサルティングが認知されていない中、入社してからどのような力が鍛えられましたか?

最初はとにかく、普遍的な力の基礎力を身に付けました。きちんとした日本語を使って議事録や報告書を書くことで得られる日本語力、コミュニケーション力、ストーリー力、また、ソフトウェアエンジニアリングやプログラミングを学ぶことで、論理力、構成力、一つ一つ確実に仕事をこなす力などです。プロのコンサルタントとして独立できるための、社会人の基礎が徹底的に鍛えられた時期でした。 はじめは大学での経験もあり、外資系の会社の日本部門における会計の部分を任されました。日本より海外で活躍していたコンサルティング会社だったので、グローバル企業の日本への導入部分の担当をしていました。

プロフェッショナルになるためにどういうことを教え込まれましたか? また、この経験は今にどう結びついていますか?

入社後2、3年はプログラミングを学びました。業務設計があり、それをシステムにおとして開発していくというものです。プログラミングの世界は、細かいところまで100%正しくないと動きません。プログラミングを通じて『魂は細部に宿るという』思想を学びました。
また、プログラミングは他の人が見てもすぐにわかるようなものでなければなりません。そこには、『ある思想のもとに、全体が分かり易い構造でストーリーを持って作られている』という構造上の美しさがあります。つまり、どのようにして分かり易い構造を論理的に作り上げていくのかという、コミュニケーション力に繋がっています。
今の会社であてはめて考えてみると、異なる能力を持った25,000人をどういう戦略のもとに組織の中に配置すればいいのか、という問題を考えることに繋がっています。このように組織の設計においても、プロセスの設計、生産拠点や営業拠点・在庫拠点の設計市場など、いろいろなところで役に立つベースになっています。プログラミングで得た考え方は、組織やビジネスプロセス、課題解決のための道筋作りの根本的な考え方として役に立っています。

まさしく、コンサルティングの能力につながっているのですね。

コンサルタントというものは、1つの物事を違う角度から見たり整理したりする能力が求められます。例えば、ある会社の物流について長年やっている人と同じ視点で勝負したとしても絶対に勝てないのです。しかし、別の製造業の物流事例や、生産管理の工程設計を知っていれば、もっと違う次元での改善や分析、アイデアを提案することができます。 違う視点での物事の見方で勝負するしかありません。今ある全体の構造を壊しながら、新しい構造を作っていく分析力が求められるのです。こういう部分でプログラミングの経験が生きていますね。

20代のころはどんな将来像を持っていましたか?

今ある仕事を、ただただ、がむしゃらにやっていました。今日一日の仕事を終わらせるのに必死で、とてもハードな毎日でした。平日の仕事は、会議や次の仕事の準備で終わっていたので、ものを考える時などは週末に一人でやっていたくらいです。休む時間なんて全然ありませんでした。

過去を振り返った時に、力を入れてやる時期も必要だと思いますか?

もう少し効率的な鍛えられ方もあったのかなとは思います。同じアクセンチュアという会社でも、日本とアメリカでは働き方が違います。アメリカと日本の3年目のコンサルタントを比較すると、個人の能力は圧倒的に日本人の方が高かったです。しかし、10人集まった時、チームとしての結果は逆転します。個々人の能力は低いチームで2倍、3倍の仕事をするという現実を海外で目の当たりにした時は衝撃でした。
なぜそうなったのかというと、効率的に仕事をする仕組みや方法論を考えた天才がいたからです。海外ではその人の手法を積極的に取り入れる文化がありました。日本の石油業界での仕事効率を上げるために、ヒューストンで仕事の手法を学び、日本の企業に展開する仕事も経験しました。我々10人で1社の仕事を必死でしている間に、海外では50人で仕組みを使って20社の仕事を行っていました。そういう仕組みが海外ではソリューションセンターのように組織化されていたのです。
30代を目前にして、個人として力をつけてきてはいたのですが、チームとしての結果につながっていなかったということに衝撃を受けました。

なるほど、そこで気付きを得られたのですね?

新しい手法を取り入れることが得意な国や文化があります。そのためにも、ダイバーシティの考え方で、多様な人材を積極的に活用していろいろな人が組織にいたほうがいいと学びました。

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