社長になりたくなかった社長?
その軌跡とは

エア・ブラウン株式会社
代表取締役会長 安田 隆 氏

学び続けたことが生きた瞬間

ともあれ社長を引き受けた。就任してやりたいことはありましたか?

就任して3ヵ月目に、A4サイズの用紙2枚にびっしりと経営理念とビジョンを書き上げました。「当社にとって一番大事なものは人。人が成長エンジンだ」と言うモチベーション重視の理屈と座標を1枚に、もう1枚は理念とビジョンを中心に書いた。

すでに、その2枚を書く下地は私の中にありました。いわゆる理念経営系の本は相当読み込んでいましたから。それを当時の会長に渡したら「みんなが分かるかどうかわからないけど、いいね」と言ってくれた。以前のカリスマ的な、数字を追いかける経営とは全然違いますが、前社長も人が大事だとずっと言っていたので、ある意味、会長も社長時代にわかっていたけれど実現できなかった部分だったのだと思う。「じゃ、やろう」となって、そこから自分の考え方で会社作りに入った。A3の大きな紙に色々なものを書いて体系を作っていった。半年ほどかけて若手社員とプロジェクトを組み、翌年に理念とビジョンを作り上げました。

理念を宣言したものの、どう浸透させるかというのがなかなか大変でした。本当に浸透させるまで3年はかかったかな。手法は少人数のワークショップの継続です。

御社の原点まで遡って振り返られたとか。

はい。第二次世界大戦後、創業者キャプテン・ブラウンの孫のリチャード・ブラウンが来日して、エ・ア・ブラウン・マクファレン株式会社の東京支店を開設したのですが、その時の逸話がある。今後貿易国として復興する日本に何が必要か考えていた時、元空軍の上級幹部に会って「なぜ日本の零戦は負けたのか」と聞いたら「シリコーンオイルがなかったから」と答えたらしい。それにヒントを得て、「これで日本を再生できる」とダウコーニングのシリコーンの代理店になったという話を聞いて、これが会社の原点だとピンときた。国の戦後復興に技術で貢献するのが彼の意思だとわかった。

明治時代に生きた創業者のキャプテン・ブラウンはもっとすごい。日本で明治政府の海運に関わる基礎をつくった貢献者の一人。20年間、本当に命がけで造船・教育に取り組んだ人。日本郵船の総支配人にもなった。子孫を日本に残していないので、日本の歴史から消えていますが、本国のイギリスに帰ってからも今では有名な三菱系の経営者を呼び、イギリスの大学や自分のところで勉強させては日本に戻しています。その人たちが明治の日本を担った名だたる実業家になっています。

そこで感じたこの会社の原点は、日本に対する思い入れが強いということと、人を育てるところから取り組んでいるということ。創業者は海運を武器に貿易商社を立ち上げ、戦後はケミカル産業で日本の産業復興をなし遂げるという意志のもとに技術系専門商社になった。当社の明治時代から連綿と続く流れが心に響いた瞬間「冒険家」という言葉が降りて来た。そこから、企業理念にある「私たちは、あふれる冒険家精神と時代の先端を担う商社活動をもって新しい価値の創造に貢献します。」というフレーズが生まれました。

社内の既存勢力の抵抗に屈してはいけない

歴史を紐解いて、すべてが繋がったということですね。

そう、今でも会社の歴史は何のためにあるか、「この会社の存在価値は何?」というところにいつも立ち返っている。それから始まった軸はブレない。そこまではほとんど自分で考えて、確信をもってこれだと決めた後は動くのみ。その問いかけをみんなにしている。例えば、新たな海外進出を考える時、「目的は何?」「誰に対する貢献になる?」と問いかける。その時、歴代の2名がどういう気持ちでこの会社を作ったのかということを私の中で追体験しています。

理念を発表して、色々なものを変えて、そこからワークショップをやった。会社のことを勉強してもらったり、当社の社風に合う人の採用について考えてもらったり。しかし最初、社内はまるで暴風雨でした(笑)。社歴の長い社員などには「そんなことは時間と経費の無駄だ」と理解してもらえなかった。でも、ブレずに信念をもって継続したら1年半で暴風雨はさっと引きました。それに平行して、申し訳ないけど6部署の部長のうち4人を、私の考えを理解してくれる人たちに外から来てもらうことにしました。このへんから会社の空気がガラッと変わりました。空気が変わったなと思ったら経営方針の変更をバンバン出しましたね。変えられると思った瞬間はもう行くしかない。今こそ構造改革の時と。ビジョンづくりのときはロジカルな考え方をしていましたが、ここは実務。海外進出に組織人事も一新し、財務改革で自己資本比率を17%から43%まで引き上げ安心して引継げる会社にして、6年目には次の社長候補を採用しました。
あきらめない、ブレない。ブレたら絶対に負ける。「だめかな」とか、「もういいかな」と思った瞬間に力をぬいたら、楽な現状維持で終わる。今の当社はないですね。多分、全然違う会社になっていたな。

ご自身の理念、ビジョンを浸透させるパワーはすごい。社内への浸透のさせ方は非常にロジカルだったようですね。

コンサルティング会社にも力をお借りしました。ビジョンを作る時も意気投合して、1年ごとにプランづくりから手伝ってもらって8年。ワークショップでは色々なテーマを与えて、自分たちで考えてもらった。最終年には、教育の中にどう理念を入れ込むかを企画したり、女性だけのチームを組んでサイトを作ったり、英文のプレゼン資料がなかったので自分たちで作りながら理念・ビジョンを勉強したりと、会社に足りないものを生み出す効果もあった。

大きな数値目標を掲げたら、モチベーションを高めるのみ

社長になってご自分の想いを浸透させながら、経営としてはマーケットを広げるのが重要なテーマだったのではないかと思いますが、どんな取り組みをしましたか?

当時は従業員65名ほどで、年商が70億円ぐらい。経営ビジョンで「100名、100億円の会社」を作ると決めた。ボーナスはその当時年間3~4ヵ月分ほどでしたが、100名で年商100億円なら、8~10ヵ月分は出せる。それを言ったら、みんな「ホントですか?!」と。それでビジョンが意外に早く受け入れられて、これはまったく文句が出なかった(笑)。役員には、実現すると年収は専門商社の上から何番目になるよと言いました。理念の浸透で、離職率が半分以下になったし、この給与水準なら本当に欲しい人が採れるから、君たちも楽になるよと話したら、納得してくれた。ここは非常にロジカル。本当にそうなった。
5年の計画が前倒しで、4年後には年商70億円から100億円に駆け上がった。それは私の中で確信的に「いける!」と思った大きな商材がうまくいったことが大きい。でも私は社員の出した年度予算に対して指示をしたことが一切ない。リーマンショックの時、さすがに無理だろうと下げたことはあるけど、上げたことは一度もないんです。

私は数字のプレッシャーを与えない。なぜかというと、人が動くのはモチベーションだから。例えば海外に行きたい、開発したいと提案があれば一切文句を言わない。モチベーションを私が評価するだけ。モチベーションが上がると数字がついてくると確信している。モチベーションを上げる要因は何かというと、もちろん所得はあったほうがいいけど、それよりも、やりたいことができることが大切。上司とのいい関係、経営者の信頼、その根幹は会社の哲学であり、理念ですから。それをやっていけば数字は上がってくるという確信があったので、数字は追わない。私はこれが将来の経営の形だと言い切っている。

今後の経営について

戦略、戦術から全てがつながっているんですね。会社の今後の方向性は、どうお考えですか。

“海外”と“投資”がキーワードになるでしょう。国内の輸入という柱を捨ててはいませんが、「アジアのブラウンになる」という目標を掲げ、アジアに貢献するための新たな柱を太くしたい。「100名、100億円」までいけたら海外に打って出ようと思っていたので、以前は代理店経由で海外に輸出していたものを、自分たちで行く形に変えて、上海に進出。2年後にはタイに進出。さらに広げていく予定です。
海外投資のプランも実際には私が引っ張るというより、社内から「これ、いけますかね?」と声があがれば、「作ったらいい」と、ゴーサインを出す流れですね。海外法人の売上は前年比で約1.4倍に伸びてグループ全体の売上げ(120億)の2割を超えてきました。

商材としては、当社は輸入シリコーンで始まり、専門商社で地位を確立してきましたが、今後は輸出も増加して、日本で培った先端技術の車、航空宇宙、電子材料が中心になる。バイオ研究もあり、医薬、化粧品、環境関連を育てて安定させて、さらに日本という先進国で確立した技術をアジアに広めるというビジョンを立てています。単に輸出先を作るとか、日本企業が進出しているから行くのではない。海外進出にはそれぞれ違った大義が必要です。来年のインド進出では日本からの輸出はしない。インドの医薬品原料を日本やアジアへ輸出することで医薬事業ビジネス拡大に焦点を当てています。シンガポール進出は再来年の予定ですが、バイオや環境商材中心になります。各社は本社のためにあるのではなく、各社の存在が地域の社会貢献に繋がることが大事なんですね。ここまで、私が就任してから12年かかっています。このようにアジア地域にいかに新たな価値創造で貢献するかというビジョンとして考えたものが具現化してきている。その大元はブラウンさんの意思である冒険家精神の発揮があるということです。

もうひとつ、当社の基本である、人を中心にするということも譲れない。例えば入社試験の社長面接で、私は考え方、生き方を聞きます。「なんのために生まれて来たと思う?」と聞くと、みんなキョトンとした顔をしますが、「何をやりたいの?」とほぐしていくと、その人がやりたいことがわかってくる。それが会社のやりたいことと合っていないと、やはり難しい。前はスキルやキャリアに関する話ばかりでしたが、最近は社内で価値観の話もできるようになりましたね。根本的な価値観が合うということは、人が仕事をする上で一番大事なことです。

経営者に必要な覚悟と経験とは

経営者を目指す40~50代の人にメッセージはありますか?

みんな若い頃は夢中で勉強して働いて、自分独自の哲学である価値観を確立すること。40代、50代でそれがわからなかったら、経営者にはなれないと思う。自信を持って社員の人生は預かれないから。社内教育でMBAをやっていますが、MBAの先生は価値観は教えてくれない。だから、幹部候補生を育てようと思い、毎年10名ぐらいの「安田塾」を年4回やっています。全部価値観の話ですね。
自分の哲学を語れない人は社員の共感を得られないので経営者になってはいけない。

40代、50代の方たちの参考になるかわからないけれど、私は来たものを全部引き受けていく人生。それには、課題を必ず乗り越える自分を作らないといけない、知識や、まわりの応援してくれる人がどれほどいるか。そしてタイミングもある。人や会社との縁の深さもある。でも来たときに逃げないことが大事。

もうちょっと踏み込んで言うと、会社を背負う経験を進んでやったほうがいいということ。私も、社長になるずっと前にそういう経験があった。自分が会社を背負えるかを試されるような会社存続をかけた厳しい出来事でした。それは理念やビジョンとは関係なく、企業が生きるか死ぬかという現実問題です。私はそこで背負う覚悟を持ってやりきった。人は頭で何かを理解するだけでは成長しない。結局は経験の数、そしていざという時に踏み込める覚悟を持てるかどうかですね。もうその時には、キャリアとか能力は関係ない。未来の可能性を信じ切る覚悟です。やれる自信と覚悟だけ。そこをぜひ経験して欲しいと思います。

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