斬新な広告が記憶に新しい、ブランド品買取専門店「なんぼや」をはじめ、予約ができる買取専門店やオークション事業、資産管理アプリなど、リユース業界に新風を巻き起こすバリュエンスホールディングス株式会社(旧株式会社SOU)
2018年3月には東証マザーズへの株式上場を果たし、2018年8月期の連結売上は315億円に達した。その創業者であり代表取締役社長である嵜本氏は1982年生まれの元Jリーガー。異例づくめの経歴と経営に秘められた想い、今後の戦略を本音で語っていただきました。
バリュエンスホールディングス株式会社(旧株式会社SOU)
代表取締役社長 嵜本 晋輔 (さきもと しんすけ)
1982年生まれ、大阪府出身。高校卒業後、Jリーグ「ガンバ大阪」への入団と同時に関西大学に進学。引退後、父のリサイクルショップで経営のノウハウを学び、2007年にはブランド買取専門店「なんぼや」を関西にてオープン。2011年 株式会社SOUを設立し、同社代表取締役に就任。現在は買取専門店「BRAND CONCIER(ブランドコンシェル)」、BtoBオークション事業「STAR BUYERS AUCTION(スターバイヤーズオークション)」、BtoC販売事業「BRAND RESALE SHOW ZIPANG(ブランドリセールショー ジパング)」、「ALLU(アリュー)」、さらに資産管理アプリ「miney(マイニー)」を展開。2018年3月、東証マザーズへの株式上場。2022年4月、東京証券取引所市場区分変更にともない、グロース市場へ移行。
元プロのサッカー選手という異色の経歴をお持ちの嵜本さん。どんな生い立ちでしたか。
幼稚園に通う頃から、気がつけば僕がなぜか中心にいて、僕が面白いと思うことに共感してくれるみんなをひっぱっている存在だった記憶があります。アルバムの写真を見るといつも真ん中に(笑)。小学4年生の時にサッカーをはじめて、サッカーで目立っていたこともあるけど、転校した時には1ヶ月で小学校の誰もが知る人間になっていました。学級委員長もやったし、中学ではサッカー部で全国大会にも出た。副キャプテンもやった。でも成績はめっちゃ悪く、オール3で体育だけ5という(笑)。でも正義感や人を巻き込む力は先生にも評価されていたと思います。
中学生の時に、その先の人生について考えていましたか。
サッカーにしか興味がなかったです。中学校の卒業アルバムにはJリーガーになると書きました。やればやるほどうまくなるのもわかって打ち込んでいました。
全国大会、インターハイと出て、高校生の時にスカウトに目をかけてもらって、大学入学と同時にガンバ大阪とプロ契約しました。結局大学は数えるほどしか行きませんでした。
個人的には勉強がそこそこできるというより何かに尖っている方が価値のあることだと思います。僕はサッカーを突き詰めたから今がある。
夢が叶ってJリーガーになって、引退のきっかけは何でしたか?
ガンバ大阪に入って3年。21歳の時に戦力外通告を受けました。人生において21歳で戦力外を通告される経験はそうそう無い。結果があまりにも出なかったから「あなたは使えないから他のチームに行ってください」と。 サッカーやっていて一番よかったのは何かと聞かれたら、今なら戦力外通告を受けられたことだと言いますね。悔しかったけれど、冷静になって3年間を振り返った時に、クビになって当然だと受け入れられた。パフォーマンスと努力が圧倒的に少なかったので、やらなければ成果が出ないとよく分かりました。
現実的に受け入れて、その反省を生かそうと当時J2の下にあった社会人リーグに入りました。でも再スタートして3ヶ月ぐらいで、今の自分のレベルとJ1に這い上がっていく難しさを理解しました。
実はプロのアスリートって自分の実力って良く分かっている。でもほとんどの人は感情が入るから少ない可能性にかけて選手生活を続ける。自分の場合はサッカー業界にいても活躍できる可能性が圧倒的に低く、1%程度だと思った。例えば会社で新サービスを始めるなら、マーケットで成功できる確率が高く、その投資に対して2、3年後にリターンすると思うから意思決定する。でも1%の確率なら投資しませんよね。もう3年やったから今後どれだけ成長するか分かる。それを客観的に見て、1年で前向きな撤退を決めました。
冷静な判断ですね。我々もコンサルタント業なので、できることとやりたいことは違うと話をすることがありますが、それを自分で的確に判断するのは難しい。
サッカー一筋から、その後どうやって実業家に?
僕の場合、言ってしまえば商売人がたまたまサッカー選手になっただけなんです(笑)。ある時、人に言われてその通りだなと。僕がいま商売人と自信を持てるのは、この商売にめちゃめちゃハマっているし、ハマるほどに成果が出ているから。思えば事業を始めたのは自然な流れでした。
小学生の時から父が自営業でリサイクルの仕事をしていたのを見ていた。家で食事する時もお客様からの電話を会社から転送して、電話が鳴ると母がペンを差し出す…そういう環境で育ちました。
大人になってサッカーへの違和感が出て来た頃、父や父の元で仕事をしていた兄の話を聞いて少しずつ興味を持ち始めました。家族からのラブコールもあり、父の経営するリサイクルショップを手伝いつつ、仲のいい3兄弟で何かやろうと、2004年に3兄弟でMKSコーポレーションという会社を立ち上げました。
お客様から買い取りをするコンシェルジュ(鑑定士)などをしながら父から学びました。2007年にリユース事業を引き継ぐかたちで大阪の難波で「なんぼや」を立ち上げ、その後は、何か自分たちで生み出したものを世の中に提供したいと兄弟で考え、兵庫の西宮で洋菓子の製造や販売の事業も立ち上げました。
驚くほどスムーズな転身ですね。お父様から学んだことは経営にどう生かされていますか。
父は昔、自らトラックに乗って買取りやポスティングなど自分の足で汗をかいていた。人がサボっている時に自分もサボってはだめ。努力の結果報われるということを一番勉強させてもらいました。真面目にコツコツお客様や従業員、家族のためにやって来たからこそチャンスが生まれる。
父からは商売の基本姿勢を学びました。3兄弟みんな謙虚な姿勢で自分の利益よりみんなのことを考えていると思う。僕も父のように真面目にコツコツ、しかも猛ダッシュでやっていきたいですね。やはり、意思決定のスピードも重要。これどうやろな、となったら材料をちゃんと集めてすぐ意思決定する。その後は改善するスピード感と実行力が必要。まだまだですがいつも意識しています。