面白い、の気持ちを
持続させるのは面白さ。

大阪大学ベンチャーキャピタル株式会社
代表取締役 神保敏明氏

雨の日に最終決定を下すのは難しい

松 園

経営トップとして様々な段階や局面の中で、「これはやっぱり大変だな」といちばん思う時はどういうときですか?

神保氏

人生選択はすべて難しいものですが、他人への言い訳が要るという点では投資決定は難しいものの代表です。自分の小遣いとは訳が違いますから。「本当にこれでいいのか?」と常に反芻してます。サイエンスがいいから、経営者がいいから、研究者がいいからと決めているわけではなく、かといって担当者の熱意で決めているわけでもない。すごく複雑です。でも、「しょうがないなぁ」と決断はどこかでしている。そういう決断は“躁状態”のときじゃないとできないですね。

松 園

確かに。テンション上げないとできないですよね。悲観的になったら、悲観的なことばっかりになります。

神保氏

そう。だから今日のような雨降りの日に、案件の最終決定なんて難しいですね(笑)。

深く考えずにトップの位置を受け入れた

松 園

ある意味すごく特殊なベンチャーキャピタル。その経営を引き受けられた理由はどのような想いからですか? 色々な方々からのプレッシャーがあるのに、そこのトップをやる理由はあったのですか?

神保氏

直前にいたベンチャーキャピタルでは十数年経営に携わらせていただきましたが、引退を決意してその生活を始めた状態でお話をもらいました。これからお金をいっそう儲けたいとか、仕事を探したいという気持ちではありませんでした。「社長を引き受けてもらえませんか」とのことだったので、今までの自身の経験を活かすことが出来て大阪大学及び社会に貢献できればなあ、といった軽い気持ちで引き受けました。 冒頭でお話ししたように、官民ファンドに対する風当たりや学内での案件発掘の難しさや投資案件を作り上げていく時間や労力を事前に分かっていれば引受けなかったかもしれません(笑)。

“日々淡々”と継続させていく、これが難しい。

松 園

神保社長は、経営のトップとして、ご自身で大切にされているひとつの軸や、意識されているものがあればお伺いしたいです。

神保氏

“日々淡々”とこなしていく。それを続けていくことです。長期的に見れば、それでは軸がぶれる可能性もあります。でも、日々淡々と重ねていくのは結構大変なことだと思います。軸がぶれていることがありうるというのは、どんな平行線だって、宇宙レベルまで伸ばしていけば平行でなくなる可能性はあると思うからです。そういう意味では軸がぶれることがあるかもしれない。ただ、軸論でいえば、世界は相対の中で成り立っているというのが持論です。地軸だって揺らいでいるのですから。絶対原理を主張し続けるゴリゴリの原理主義発想は持ち合わせていません。
私の場合はその大きな目標を掲げることはやりません。短期目標を達成できなかった場合のほうが怖いですから。居心地の良い方向に向かって日々淡々とやっていけば、短期的には対期待値では未達も超過もあるでしょうがいずれは成果がついてくるのではないかと思っているんです。今までもこんな風に人生を送ってきただけで、それが正しいかはわからないのですが、発想のスタイルは変えられないものですね。そんなトップについてきてくれている従業員の皆さんはどう思っているかわからないですけど。そもそも、ファンド運営には期限がありますから、投資先の経営者にお願いしていることとは矛盾していることのように聞こえるかも知れませんけれども。

松 園

継続的にずっとやっていく中で、雑音もあったり、アドバイスもあったりしますよね。私もずっといろいろ言われたりします。だから、経営者って、言うことや多少判断がぶれたり、変わったりすることも。その中で、いい意味で流しながら継続するって言う強さがあるのは“胆力”。ビジネスというのは、胆力の連続じゃないかと思います。

神保氏

しっかりした経営者の方は、胆力をお持ちですよね。ただ私の場合は、そういうものが多分ありません。実態は理解力がないから助言の真意が理解できていない結果ではないかと思っています。外部から色々な意見を聞いても、本当に理解して咀嚼して対応できてないのではないでしょうか。ほとんどに対して“大雑把でいいかげん”なことが、何とかここまでやって来られた理由ではないかなと思い込んだりしている位ですから、アホは治らんというところでしょうか。外部からの雑音やアドバイスも多々ありますが、その全てを受入れていると自分が自分でなくなるが気がしています。全ての結果は経営者の責任ですので、失敗したとしても自分に納得したいですよね。

松 園

なるほど。もしかしたら雑音やアドバイスなどを全部受け入れて、理解しようとしてまうと、トップとしてやっていけない可能性もありますよね。

トップは自分の意見を貫き通すことも大事

松 園

では、神保社長ご自身が、経営者やこれから目指す人へのアドバイスがあれば伺いたいです。

神保氏

“人に意見を求めて意見を変える”ことがないほうがいいですね。自分がこうと思えば、それを進めていく。微修正は常に必要ですが、人の意見を聞くということは自分の意見との相違点を知るだけにして、それによって自分の意見を根本的に変えてしまうことはしないほうがいい。世界は相対の中で動いていますが、迎合してしまえば新しいものは生まれないのではないでしょうか。振り返ってみれば私はそうすることで人生を送ってきたのではないかとよく思います。もっとも、新しいものは何も生み出せませんでしたが。こう考えれば、サラリーマンなど特定の組織の中で“人間関係が上手だから出世した”タイプの人はあまり当社のような仕事には向いていないと思います。もちろん人間社会ですから、何が何でも貫き通していたら生きてはいけません。でも結果から見れば、「あの人、自分を貫き通したね」というようなことが必要だと思います。

松 園

色々な経営者の方にお話を伺うと、そういう考えをされていることが多いんです。自分が持っている信念という強い軸がひとつあって、それが重要だと。もちろんそれだけではなく、“聞く耳を当然持つ”。でも、それは自分が持っている軸と相対的にどうかと比べたり、また当然軸だけでは進められないので微調整も日々やっていく“柔らかい吸収力”もある。そのふたつのことが、経営者から話を聞くと、よく出てきます。

神保氏

私の場合は、中小企業を経営している方と違って、資金繰りに日々悩んでいるわけではないし、個人で債務保証して支払いや返済をこういう風にしなきゃいけないと言うしんどさもない。だから、本当に企業経営をなさっている方々と同じような形で見られると、こそばゆい感じがします。私は、会社の運営に心を砕いてはいますが、事業目的にそったことをいかに達成しているのか、の報告や調整に心を砕いている時間が長いかもしれません。本当の経営者から見れば、「気楽な奴だな」という感じにしか見えてないと思います。

松 園

広い意味で言うと、社会貢献商品であっても、サービスであっても、世の中のためになるものを送り出す。役割分担をして、社会をリードしていく意味での経営でもありますから。何でもかんでも背負ってギラギラやっていったり、失敗したら後がないという事だけが経営ではないですよね。うまく商品を送り出す。そこにはいろんな複雑性がある中で、いい意味で“鈍感力”を使いながらいることも、1つの経営だと思います。ギラギラしたオーナー経営者が神保社長の立場と逆転したら、色々なものを出せるかと言ったら、壊れる部分もありますよね。

神保氏

多くのものの中で、何が生き残るかはわかりません。努力している人が必ずしも生き延びると言うわけではないでしょう。適者生存(※1)という言葉がありますが、適者の形が分かっていても適者になれない場合もあります。適者になるには偶然の要素も無視できないと思います。研究者の話で先にも述べましたが、適者になるのは偶然かも知れませんが適者になる挑戦をするのが人間だと思います。進化のきっかけは偶然かも知れませんが、偶然の進化を見逃さずに育む気持ちが大事です。それを「努力」と判断するか「面白い」と感じるかでも成功確率に差が出るかも知れないと思っています。早道を行こうとして成功事例を形式だけ真似ても、何らかのノウハウがなければ上手く行かないこともあるでしょう。経営を学ぶ人の中には事例研究や分析を重要視する人もいるでしょうが、それをどうマネしていくかの神髄はマネでマネはできないのではないでしょうか。MBAを取得すれば、それで事業を成功させることができるものでしょうか。

※1 適者生存〔survival of the fittest〕
生存競争において,ある環境に最も適した生物が生存し得るという考え。〔 ハーバートスペンサーによって提唱され,ダーウィンが「種の起原」の第四版以降の「生存闘争」の章中に用いた語〕

松 園

確かにMBAを持っている方、全員が経営できるかと言われれば、そうは言いきれません。

神保氏

その方たちが秀でているということは事実です。経営していてわかるのは、「こういう風にやったほうがいい」ということは分かっている。でも、それを実行するのは大変ですよね。うまく思う通り実行できないから、どこまで妥協してそれを進めていくかと言うところが経営の難しさにあります。「このポジションはこんな仕事をするべきだ」と教科書通りに命令をしても、その人がちゃんと動いてはくれません。何かをやっていこうと思ったら、緩やかな血盟のような”大義”というのが必要ではないでしょうか。それを守る上では、他に我慢していなければならないこともあります。目先の目標も大事ですが、号令や指示ではなく、方向感を取りまとめることができる人が優れた経営者なのだと思います。それが、現場レベルでの細かい判断にも影響しますから。

松 園

我慢して、諦めずにやり続ける力は必要ですよね。特に新分野は。「失敗すると言う事は途中であきらめるから失敗するのであって、成功するまで諦めずにやり続ければいい」ということはよく聞きます。

大学系ベンチャーキャピタルが求める人は?

松 園

神保社長はどんな人が経営に向いていると思われますか?

神保氏

ビジネスのタイプによると思っています。直近のケースでいうと、外国の会社と日本語以外の言語で契約ができるくらいのビジネス会話力があるほうがいいと思いましたし、ベンチャーキャピタルの中身を理解する視点を持っているほうがいいという場合もありました。でもそれぞれの会社にそういう人がすべて必要かっていうと決してそうではない。例えば、ものづくり系の会社で取引先は国内の大手という場合には、また違う方が必要になってくると思います。
また、同じ人がずっと経営者でいるよりは、そのステージに応じて経営する人は変わっていったほうがいいと思います。私自身も、この会社で草創期をお作りになった社長がいて、動き出す仕組み作りを引き継いでいます。ステージが変われば経営陣も変わるべきだと思っています。ですから、特定のこういうタイプの人がいいとは言い切れないと思います。これは、当社とて同じです。

松 園

最後に、こういう人だったら業界に来て欲しいと思うことが、ありましたら教えていただきたいです。

神保氏

研究者に寄り添っていくことができる人、それを行動に移すことができる人に来て欲しいと思っています。それが我々の重要なミッションですから。
すぱっと言ってしまうと、決して机上の知識が豊富な“スクール(アカデミック)・スマート”を求めているわけではない。しかし、生き残るためのスキルを臨機応変に持ち合わせる“ストリート・スマート”だけでは受け入れられないところもあるかもしれない。だから、その両方を持ち合わせている、多様な人材が我々のところに集まってくれればうれしいとは思います。
今、日本全体が、学業で良い成績を収めた人とか、ブランド力のあるスクール・スマートの人たちが、評価されてしかるべきという傾向が強くなっているように感じます。でも社会はそういう人たちだけで成り立っているわけではないので、多様な人材が多く集まってきてくれればもっと面白いこともできるのではないかと思っています。

松 園

いろんな人たちが活躍できるフィールドがあるということを、もっと知ってほしいですね。そうするとバランスのいい社会になるかもしれません。

神保氏

現実は世知辛い事も多くなっていますからね。どうしても、「報酬はいくらもらえますか?」「仕事がうまくいったら世間から何か評価されますか?」と気にする方がいらっしゃる。我々は、“報酬はそこそこ、仕事の面白さもそこそこ”です。でもどんな人間でも、「人生終わってみたら皆ぼちぼちだった」という風にしか思っていません。見るべき程の事をば見つ(※2)、と人生の幕を閉じる人は稀なのですから。ぼちぼちで我慢できる人が作る環境が、日本の社会に似合っているのではないか思います。多数のそこそこ、ぼちぼちが、局面によっては大革新を生み、新しい展開を作って適者になっていけるのではないかと。小さな不満が蔓延しつつも長い歴史を生き延びてきたのが日本の社会なのではないでしょうか。持続力は努力、と感じる重さよりも、面白いと感じる鈍感さです。そういう社会がうまく続いていくように貢献できる組織にできたらいいなと期待をふくらませています。

※2 見るべき程の事をば見つ
平清盛の四男、平家きっての勇将として知られる平知盛の辞世の句の一節。現代語訳「見るべきものは全て見てしまった。」

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