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株式会社ジュエリーアセットマネジャーズ
代表取締役社長  藤野 匡生 氏

ジュエリー・貴金属のアセットマネジメントという日本初のビジネスを行うジュエリーアセットマネジャーズ。現在10万人の会員と世界最大級となる22万個のジュエリーデータベースを擁している。銀行員・産業アナリスト・不動産業界でのキャリアを経て2009年より同社代表を務める藤野氏に、これまでのキャリアや唯一無二のビジネスモデルを生み出す考え方について聞いた。

株式会社ジュエリーアセットマネジャーズ
代表取締役社長  藤野 匡生(ふじの まさお)

1987年株式会社富士銀行(現みずほ銀行)入社。富士総合研究所(現みずほ総合研究所)に出向し、産業アナリストとして小売・サービス・不動産業の分析に従事した後、国際金融担当のチーフマーケットエコノミストに就任。2003年不動産ベンチャー企業、株式会社クリードに入社。経営企画責任者として2005年に東証第一部に上場を果たす。2006年ベンチャー企業へのハンズオン投資を行う、株式会社エムアウトに入社。副社長として、投資案件の選定・事業育成・売却に至るプロセス全般を統括。2009年投資先である株式会社アイデクト(現ジュエリーアセットマネジャーズ)代表取締役に就任。また、日本でジュエリー資産の活用の啓蒙活動にも尽力。金融・不動産・貴金属・ジュエリーすべての資産管理やマーケット分析に実際に携わった経験を持つ、日本唯一のプロフェッショナル。主要経済誌等に発表した論文・講演等多数。

銀行員時代に学んだ仕事の本質

大学生の頃は、どんな学生でしたか?

私が大学生になった1983年は、まさにバブルの時代でした。他の学生も同じだったと思いますが、当時はあまり勉強熱心な人はおらず、サークル活動ばかりしているような感じでした。大学が関西だったこともあり、金儲けが好きな学生が多かったのかもしれません。大学生を集めてイベントやパーティを開催したり、旅行に行ったりして稼いでいました。

その後新卒で銀行に入行されますね。

大学を卒業して最初に就職したのは富士銀行(現みずほ銀行)でした。当時はバブル真っ盛りで、金融や不動産業界がとても脚光を浴びていた頃。ブームに流されて、そうした業界を受けていました。鉄道会社などからも何社か内定をもらいましたが、生涯賃金の高さや華やかさに惹かれて銀行に入行することにしました。

正直なところ、学生時代や就職活動時はキャリアに対して何のポリシーもなかった気がします(笑)。

はじめに就職した富士銀行ではどんな経験をされましたか?

最初の配属は営業職だったのですが、あまり成績が振るわず2年で異動になってしまい、富士総合研究所(現みずほ総合研究所)の設立準備を担当することになりました。当時、大手の銀行がこぞってシンクタンクを設立していた頃です。設立準備メンバーの中では私は一番下っ端で、そこで4年間働いていました。

就職してからの数年は仕事に対しての考え方や価値観のベースが形成される時期だと思いますが、今振りかえった時に役立っている経験はありますか?

今では考えられませんが、当時はどこの会社も長時間労働が当たり前といった労働環境で、特に銀行は厳しかったかもしれません。予算達成するまでは帰ってくるなという雰囲気でした。夜の公園で途方にくれたこともあります。私が所属していた大阪の難波エリアでは深夜3時くらいまで営業しているお店があるので、ノルマを達成できていない時はそうしたお店にも営業に行っていましたね。

私の直属の上司は本当に成果にこだわる人で、その人から仕事の本質のようなものを教わったと思います。

当時はまだPCはもちろんワープロも普及しておらず、書類はすべて手書きでした。ですので、字の書き方から練習しろと言われましたね。10枚くらいの書類を手書きで持っていくと、目の前で破かれて「誰が10枚も読むと思ってるんだ、3枚にまとめて書け」と言われたり、「あなたの仕事はお客様への融資を実行することなのだから、読む人のことを考えて綺麗な字を書きなさい」と言われたり。毎週日曜には字の練習をして、月曜に上司のテストを受けるということもありました。

そのほかにも、「今日やらなければならない仕事があるなら、熱が出ても会社に来い」とか「納期は絶対に守れ」とか、かなり厳しいことも言われましたが、本質的にすごく大事なことだと思っています。

銀行員の価値とは何か、自分はどんな役目を果たさなければいけないのか、という仕事の本質は、その上司から学んだ影響がすごく大きいですね。

確かに厳しい気もしますが、言われていることは至極まっとうですよね。

そうなんですよね。銀行員のお客様は経営者なので、お金に対してとてもシビアですし、融資が間に合わなければ会社存続ができずに倒産することだってあります。そうした大事なお金を扱う仕事ならではの厳しさを学ぶことができたのはとても価値があったと思います。銀行員のあきらめがお客様である企業の命運を左右することもあるわけですから。

40歳を前に、ベンチャー企業へ転職

その後銀行をお辞めになっていますが、どういう経緯で転職に至りましたか?

転職したのは2003年、39歳の時です。今のように転職が当たり前の時代ではなかったこともあり、40歳を超えると転職はほぼ無理という風潮でした。そのまま銀行に残る選択肢もありましたが、銀行員の場合50歳を過ぎると意図しない出向もありえます。こうした中で、自分の人生は自分で決めたいという思いがあり、転職を決意しました。

銀行の次はベンチャー企業に転職されていますが、この時にご自身のキャリアプランは明確にお持ちでしたか?

次に入ったベンチャー企業は当時まだ規模も小さく、社長も私より2歳下と若い組織でした。当時私は40歳でしたが、子どももまだいなかったので、割と気楽に転職を決めることができたかもしれません。

次私自身では何か事業を生み出せるとは思っていなかったので、新しい事業をサポートできるような立ち位置で仕事ができたらいいなと思い、その会社に入りました。

銀行との違いや、入社前のイメージとのギャップはありましたか?

銀行とは全然違うだろうと思って入ったものですから、入社前のイメージとのギャップはありませんでしたね。銀行員時代にいろいろな経験をしていたことで、腹がくくれていたのかもしれません。どんな環境でもやっていけるだろうという自信はありましたね。

2005年には同社の上場に、その後もう1社の上場に携わっていますね。

どの企業も比較的スムーズに東証一部に上場していき、ここで勘違いしてしまったかもしれません。どんな企業でも普通のことをきちんとやっていれば上場はできるんだ、って(笑)。

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